わたしの農薬体験記録 (農薬を甘くみてはいけない)





 長い間体調不良。中年になってその症状を「更年期障害」だと思っていたのですが‥そうではなかったのです。原因は、化学物質だったのですが‥特にその中の「農薬」が原因でした。その事についての記録です。





|体にいったい何が…




 今から約20年以上前、結婚し家を新築しました。これから、楽しい毎日が始まると思っていたのですが、体の手足が異常に冷えて来ました。夜寝ていると、トイレに必ず一度は目が覚めるようになり、起き上がろうとすると全身が氷のように冷え切っていて、12歩、歩いたところでひっくり返ったりしていました。全身がとても重く感じ、まだ30代にもなっていないのに80代のおばあさんのような感じでした。


 時々、知り合いの人に、笑いながら「夜、トイレに行く時、全身が冷え切ってて転んだりするのヨ。」と話していました。そのうち、手や足がしびれるようになってきました。「何だろう?気持ち悪い」。そんな感じでした。それでも、まだ心には余裕がありました。


 ある日、友人宅へ子供を連れて遊びに行きました。足を崩して話をしていたのですが、急に足から腰、胸、両手、肩、頭と、しびれていったのです。こんなところで、死ぬのだろうか?そんな不安が、頭をよぎりました。しかし、一分ほどで、何事もなかったようになったのです。しかし、「これはいったい何だったのだ ろ?」と、とても気になる出来事でした。


 その後、お腹がパンパン張ってきて、食欲が減ってきました。そのうち、下腹がポコっと膨らんで垂れてきました。長くこのような調子だったので、病院へ行きました。結果は、内蔵下垂と内臓機能低下とのことでした。でもどうしてこうなったのかは、不明でした。薬を1か月ほど、服用しましたが、全く改善されませんでした。薬の内容も、長期服用できるようなものでなく、危険なものでしたので服用を中止し、「自分で、治そう。」と、決心しました。







|医者に頼らない決心




 そして、始めたのがウォーキングでした。とにかく、歩くことを実行しました。まだ、一番下の子は、3歳ぐらいでしたが、土日には、4キロぐらい一緒に歩きました。お陰で、小学校へ行く頃は、すごく体力がついていました。ウォーキングは、悪くないと思いましたが、歩いているときだけが一番調子が良く、歩くのを止めるとすぐに、体が冷えてきて、気分が悪くなってきました。

 
 こ れでは、マグロのように、一生動き続けなければいけないじゃないか!じっとすると調子が悪くなるなんて…いったい何が起こっているのだろう?謎だらけでし た。ウォーキングは、ずっと続けていましたが、内蔵下垂、全身の冷えは、なかなか改善されないまま、症状はひどくなっていきました。







|頑張っても効果ない



 その当時、私の抱えていた症状は、こんなにたくさんありました。異常としか言いようがありません。


 左 右の足の裏血腫。全身の異常な冷え。手足のしびれ。顔面のしびれ。瞼のけいれん。口の異常な乾き。のぼせ。首・肩・背中の筋肉のこわばり、頭がきつく締め つけられるような痛み、内蔵下垂、内蔵機能低下。腹部膨満。動悸、息切れ。低血圧。脈の微弱。「物音、光、人の急な動き」に異常な反応。その他、物忘れ、 理解力低下、集中力低下、精神的な不安、イライラ。などがありました。


 これだけの自覚症状があるにもかかわらず、他人からは、とても元気に見えているようでした。それが、不思議でもありました。こんなに、盛りだくさんの症状があり、本当に怖くなってきました。それでも、ウォーキングは、頑張って続け、時には走ったりもしました。







|2006年5月の異変




 2006年5月のある日、田んぼの畦などを子どもと散歩し、花などを摘んできて、部屋に飾ったりしました。そんなことを何日も繰り返していました。すると、口の中が渇くというより、口の中の唾がなくなってきました。喉も痛く、今まで経験した事がないような、風邪をひいたと思いました。


 病院へ行って、風邪薬をもらって飲みましたが、一向に改善されず益々、喉は痛くなり唾は無くなりました。もしかしたら、変な菌にでも侵されているのではないかと思い、病院の先生に無理を言って抗生物質を出してもらいました。


 すると、更に症状が悪化、起き上がる事さえできなくなってきました。いったい何があったのか?さっぱり分かりませんでした。その後病院を変えました。そこで言われたのは、「膠原病かもしれませんね。詳しい検査を、大学病院へ行ってしてください」と言われたのです。


 その当時の私の症状は重く、ほとんど食べれない状態でした。遠い大学病院に行くだけの体力もなく、スーパーに売っているカロリー食品の固形物やゼリー状のものを食べるだけでした。後で思ったのですが、これらの症状は、農薬の空中散布の影響だったのだと思います。この頃は、まだ鈍感症だったので、農薬散布の影響だとは、気づくことはできませんでした。


 

……その後、部屋の中の化学物質(合成洗剤や殺虫剤など)を処分し、無農薬・無肥料・無添加の食品に変えることで、なんと普通の生活ができるまで回復したのです。(奇跡です) …… ところが…
 

 




|2008年 魔の5月




 2008年5月下旬のこと。自転車で買い物に行く途中、目に刺激を感じました。花粉症の時期は過ぎており、花粉症のように目がかゆくなるのではなく、目にチカチカした刺激を感じました。家に帰って、目を洗い事なきを得ましたが、なんだか腑に落ちませんでした。その後も、出かけるたびに目に刺激がありました。その距離も日にちを追うごとに‥家からどんどん近くなり、6月の上旬には、家に居ても目に刺激を感じるようになりました。子どもたちは、皮膚の湿しんと痒みがひどくなってきました。


 わたしは、もしかしたら、この地域で、農薬の空中散布があっているのかもしれないと…県庁、市役所、農協、農家の方…に問い合わせてみました。(農協の方の対応は、とても酷く、怒鳴ってくるので…どちらが被害者か?分からなくなるくらいでした…)とにかく、このことで分かった事は、「水稲の雑草防除の時期である」というのが分かりました。以前は、市役所でやっていた空中散布ですが今では、農協と農家の方にまかせられていました。


 特に、雑草の防除は、農協も関与せず、個人がヤマハやヤンマーに頼んで空中散布することになっているので(地上散布したい人は、地上散布でも可)、「いつ、どこで、誰が、どんな農薬を、どれだけ撒いたのか」を市役所も、農協も把握できていませんでした。



 ーいつ、どこで、誰だかわからないけど、空から、劇薬がまかれる〜ー


 今までの私は、化学物質まみれの体と化学物質の環境の中に存在していました。ですから、低濃度(実際は高濃度だった)の毒を見破る事は出来なかったのだと思います。しかし、化学物質を生活環境から除去し、化学物質を体から減らした今、「もうもう、私の体は、化学物質に、騙されたりしない!!」


 こんな環境に、知らずに住んでいたから、あんな訳のわからない病気で悩まされていたのだと。私の体は、本当に大切なものに目覚め、妥協をゆるさなくなったようです。6月の下旬、目の刺激は、少しずつなくなり、また穏やかな空気になってきました。



 




|2008年 魔の7月

 



 市の広報に「7月20日〜8月12日までカメムシ防除のための農薬の空中散布をする」ことが知らされていました。5月の経験があるので、自分がどうなるのか怖かったのですが、逃げる場所もなく、ただ室内にこもることしか思いつきませんでした。


 とうとう7月20日がやってきました。思ったほど、空気は穏やかで何事もありませんでした。もしかしたら、そう大したことはないのかな?とも考えました。 しかし、7月25日になって、すごい事が起こりました。急に目がチカチカして窓が開けられなくなりました。さらに、皮膚は、ひりひり、瞼は、腫れ、鬱症状 も出てきました。



 8月8日
 あまりの暑さに窓を開けました。北風だった(田圃が南側だった)ので大丈夫だと判断したのですが、目がかなりチカチカしました。さらに、呼吸困難になりました。


 8月9日
 室内の空気が悪かったので、昨日久々に、天日干しにした洗濯物は…皮膚がチカチカして着ることができませんでした。

 8月10日
 心臓が止まりそうな不整脈がありました。2時間ほど、半身浴をして汗を流しました。入浴後、2時間ほど、頭痛がありましたが、不整脈は落ち着きました。


 8月11日
 空気が、目と皮膚をチクチク刺してきます。瞼が腫れて、呼吸も苦しくなってきました。2時間ほど、半身浴で汗を流しました。今日は、頭痛がなく、かなり気分はすっきりしました。


 8月12日
 農薬散布は、今日まで。しかし、空気は、まだチクチクしました。瞼は、腫れ、皮膚はあちこちかゆく、首の後ろと頭の痛みがありました。

8月13日
外の空気は、まだチクチクします。昼から、半身浴をして汗をびっしょりかいてデトックスしました。


 8月14日
 窓を少し開けてみました。まだ、空気は、チクチクしました。まだ、瞼の腫れや顔の浮腫み、皮膚のかゆみは、続いています。


 8月18日
 もうそろそろ、症状は、取れてもよさそうですが、まだ、瞼が腫れており、今日は、特に目の痛みが激しいです。頭と首の後ろが痛く、2時間ぐらい半身浴をしました。


 8月19日
 まだ、目がヒリヒリします。体の方は、大分楽になってきました。


8月20日
顔は、まだ浮腫んでいます。肌は、微妙にザラザラしています。空気は、かなり優しくなってきました。


 8月22日
 空気は、すごく穏やかになりました。顔の腫れ、瞼の腫れはすっきり治りました。息苦しさもなくなりました。


 しかし、9月に入っても、頭と首の後ろの痛み、全身のだるさが続きました。農薬散布後、空気は優しくなってきましたが、体調が良くなるためには相当時間が必要と分かりました。



 




|その後高血圧症に




 2008年12月。今まで私は、低血圧症で、上の血圧が100もないぐらいでした。しかし、主人が血圧測定しているので、私も一緒に計ってみると、なんと200近くなってしまいました。農薬の後遺症だと確信しています。


 病院で、アダラートと言う薬を、いただきましたが、たった1錠服用しただけで、動悸(脈が1分間に120ぐらい)、全身の酷いむくみなどが‥3日間もあり、服用を中止しました。薬の恐ろしさを実感した瞬間でした。







|自分で治す決心

 


 2009 年8月。2008年の暮れ以来、高血圧症になってから、わたしは、血圧の薬を服用せず、デトックスすることで、治すしかないと考え実行してきました。一時 は、いつ倒れてもおかしくない状態でしたが、現在の血圧は、上が120ぐらい、下が80〜90で落ち着いてきました。
 





 

 |追加




 数年前から血圧を測るのを止めています。血圧の数値はどうであれ毒を出すことが大切だと分かったからです。原因を取ることが数値で行動するよりはるかにいいです。放射能もガイガーカウンター使うより原因を除去すること、あるいは避難することがいいのですから…。(できるかどうかは別としても)


■農薬を消毒と呼ばないで!

農薬を消毒と呼ばないで! 私の人生を変えた農薬事件
農薬を消毒と呼ぶことの悲劇です。自分の人生がこんなところで変えられるとは…。http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=158



■農薬の航空散布について

◇農薬の航空散布について
こちらは、是非読んで欲しい記事です。⇒「し知っていますか?空から撒かれる毒について」
 
http://w01.tp1.jp/~a790432858/hikansite.html#5

 


■化学物質に鈍感でも、体はボロボロ

◇化学物質に鈍感でも、体はボロボロだった
私の住んでいた、この地域の農薬の空中散布は、平成13年頃から始まったそうです。そのころの私の体は、鈍感で、全く農薬の刺激がわかりませんでした。しかし、体は、ボロボロでした。


体の環境と、家の環境を整えると、見違えるほど、元気になりましたが…。
それでも、足りなかったと言うことを気付かされました。



◇環境が良くならなければ、どんなに頑張っても持続的な健康は得られない
あと一つ不完全なところが…それは、…私たちの住む環境でした。鈍感なときは、全く分かりませんでしたが。今は、すごく分かります。環境が、すごく悪化しているということが。
 




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下にCMが表示されることがありますが、このブログと関係ありません。

 


 


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