「意識が全てを不自然にする」 極端な言い方かもしれないけど…






|自然は全てで一つ




自然は本来全てで一つ。だから…言葉なんて必要ないと思うのです。しかし、文明は言葉や数字で全てのものに境界線を付け、本来一つだった自然をバラバラにしているように思えてなりません。野生の生き物を見ていると言葉や数字を必要とせず生きています。自然が「無限(限りがない)の存在」だからではないでしょうか。







|不自然な世界




今死亡原因の第一位は「癌」ではなく「人工中絶」と言われています…。癌も文明がもたらしたものであるとしたら…どちらにせよ「文明による死因が第一位」と言うことになります。


文明は‥人工中絶によって生まれてくるはずの命を殺し、逆に自然に任せていたら淘汰されてしまう命を助ける。文明は‥自然任せで死んでいく生きものを助ける事(例;未熟児の子ども)で…意図的に殺すことを合法的に許しているのです。


ある人は、障害のある子は嫌だと中絶し、ある人は子どもがほしいと体外受精までして子どもをもうけたりしています。自然にゆだね…それを100%受け入れるのではなく…自分の都合に合わせて命を操っているようにも見えるのです。つまり…文明社会において親は子どもに対し「生殺与奪」の権利を持たされたと思うのです。








|全てドンデン返し




自然の世界が文明の世界へ


自然に任せれば…。
生まれるはずの人は、全員生まれてくる。
生まれた中から、病気や事故で自然に死んでいく。


だから自然に任せる世界は、文明に頼らないで生きていける者たちの世界。
だから自然の循環は豊かになる。


しかしもし、文明に頼れば…。
生まれてくるはずの子どもが、親の都合で殺される(ことがある…)。
逆に生まれてすぐに死ぬはずの子どもが文明の力で助けられ生かされる。
また、生まれてから、病気や事故になって自然に死んだはずのものが生かされる。
文明に頼って生かされた者たちは、どこまでも文明を必要とする。


だから文明なしに生きていけない世界は、文明がどんどん発達し、自然の循環は途絶えていく。








|考えてばかり




言葉で過去を振り返り未来に備える人間


私たちにもたらされた苦しみは…いろいろと(言葉で)考える生き物になったからではないかとそう思うのです。本能に沿った生き物は、本能に沿って苦しみや危険から必死で逃げます。しかし、野生の生き物は、「死ってなんだろう」とか「生きるって何だろう」って考えた上で行動しているわけではありません。だから、文明を必要とせず自然(本能)に沿って生きていけるのだと思います。


しかし、本能に知恵をプラスされた人々は、「死ってなんだろう」とか「生きるとは何だろう」「私って誰」「私って何者」って考えた上で文明が与えた道具に頼って助かろうとするわけです。このように「ことば」であれこれ考える生き物になったことが、自然からどんどん遠ざかっていく要因ではないかと思います。


全てで一つの命なのに…一人ひとりが文明に頼ってでも、それぞれ助かりたいと考えるなら、全てが失われるというのは当然な気がします。一つの体でも同じことが言えます。たとえば、落ちていく垢や噴き出す汗に意識が与えられ、落ちることが死ぬことだと考え、道具に頼ってまで体にとどまろうとした時、体全身が死んでしまうように…。ですから、文明は人や生き物を助けるように見せかけて、とことん自然の命を破壊しようとしているのではないでしょうか。


もし、言葉でいろいろ考え「文明に頼ってでも生きるぞ〜」って考え実行すると、「全てで一つの命」が死ぬとしたら?ことばでいろいろ考えると言うことほど「厄介」と言うほかありません。自分があれこれ考えず本能に沿って生きていけたらいいのにと考えずにいられません。








|真の親は?




私たちを育てるのは自然であり、文明ではない!


本来わたしたち自然の生きものは、言葉を頭にインプットするのではなく、野生での体験をたくさん脳に蓄えることが大切なのだと思います。今は、野生の体験は、皆無で文字や数字で頭がいっぱいって感じではないでしょうか?同じように、言葉を知らないインコを…自然から隔離して話しかけると言葉を話し始めます。つまり、本当の親である自然(本能)から切り離され…文明(ことば)が親になったからだと思うのです。


だから、…文明に捕らわれた人々は‥ゲームやテレビやパソコンはないかもしれないけど…本来の自然に還りたいと願うのだと思います。






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どうして人間だけが笑う?






|笑うのは人間だけ




人間って、本当に不思議ですね。おかしいと言って‥笑うからです。
それは‥もう赤ちゃんの時に始まっています。


うちの子は「いないないば〜」でよく笑っていました。
見えなくなったから‥いなくなった。そう思ったら‥
「な〜んだ。いたんだ〜。」みたいに、自分の思っていたのと違っていた時に笑うようです。
しかし、他の生き物だったら‥こうならないので‥不思議でなりません。


笑いについての答えは‥どんなに考えても出ないわけですが‥、「人間がどうして笑うのか」そのことについて考えてみたいと思います。








|不快になる笑い



笑いを分類すると、「うれしい時」とか「変なとき」とか「恥ずかしい」ときとかあるようですが、いずれも自然界の生き物に笑うものがいないことは確かです。また、笑いは体にいいとか、人間関係が円滑になるとか、笑いで元気が出たとかよく言います。しかし、笑いで不愉快になることも事実です。


たとえば、自分があるグループの中にいたとします。もし、そのグループに笑いがなかったら?緊張しっぱなしです。だから、笑いを誰かが作って(ムードメーカー的存在)、場の雰囲気を和ませ楽しくします。確かに、笑いがないとやっていけない状況かもしれません。しかし、そのグループの枠からはみ出している場合はどうでしょうか?


先日公園を歩いていたのですが、中学生が5〜6人たむろしていました。そして、ふざけては時々大声で笑うのですが…すごく不愉快になるのです。私自身がムードメーカーになったりすることも時にはあって人を笑わせたりするのに…。


つまり‥



「笑いは同じ仲間の間では、いいものでも、


仲間でない人に対しては、ときに不愉快な思いを与えるもの。」


かもしれません。








|笑いを調べてみる




笑いという漢字を調べてみると⇒「竹」+「夭(ほそくしなやか)」つまり、「竹のように細くしなやかにしなる」というイメージです。人間で言うと、緊張がほぐれ弛緩しているという状況でしょうか。



たとえば、知らない者同士が、狭い空間に入れられたとします。多くの人は、できることなら逃げ出したいと思うのではないでしょうか?こんな不自然な状況(自由に移動できない空間)を人が自ら用意しているわけですから、笑いで緊張を取らなければ病気になるのかもしれません。



自然の中では笑いがなくても「緊張がほぐれる自由空間」が無限に広がっていますが、人は自然を壊し建物を建て、自分の緊張を解きほぐすことのできない不自由な空間に入れてしまったのではないでしょうか?



野生には「ライオン」が襲ってくることもあるのですが、自由に動ける空間に存在するシマウマを見ていると(普段は)緊張がほとんど見られません。(周りへの警戒は忘れませんが…)。ただ、危険な時になると一気に「緊張」を高めるのです。



その一方で、人間は、だれも襲いかかってこない建物の中にいながら…緊張が持続しています。危険なことがあるかもしれない野生生活より「自由に動けない」という文明生活の方が、どれほど「緊張」を高めるのかが分かります。








|人は常に緊張している




関西へ来て「よしもとのお笑い」で緊張がほぐれたという経験がありますが…。自然は「笑い」がなくても緊張がほぐれる空間があるのでないかと思うのです。でも今の時代は、笑わないと死んでしまうほど「緊張し続けていく空間しかない」のかもしれません。


たとえば‥幼稚園も、学校も、会社も…文明が作り出した建物の中です。決して逃げることは許されません。試しに、何も言わず1週間ぐらい休んでみてください。そのあと怖いお仕置きが待っていますから…。ですから、文明人にとって緊張をほぐす「笑いは必需品」と言えるかもしれません。そういう状況を作った上で、緊張をほぐす「笑いがビジネスになる」のですから…。文明という世界は本当に抜け目がないと言えそうです。


ほとんどの人は、こんな狭い空間に生まれた時からずっといるわけですから…全ての人が「笑いで助けられた」と言っても過言ではないでしょう。だから、「笑い」を否定することもできません。だからみんな、「笑い中毒」になるのかもしれません…。


もし仮に、人々が‥無限に広がる空間でいきられたら(支配者がいない世界)…笑いは、人間と無縁になるかもしれません。(私説)








|野生に住む生きもの



普通生き物は、目と目が合うと緊張が走ります。この空気に、多くの生き物が耐えられません。たぶん、自然界では、獲物にされる時がこの状況だと思うのです。とくに睨まれている生き物は、その空気に耐えられず逃げます。


大体は捕まえられる事になるかもしれませんが、助かることもあります。助かった後は、ホッとして弛緩した状態が続きます。(警戒するという軽い緊張と軽い弛緩が繰り返されてはいるでしょうが…)ですから、わざわざ自然の生き物を言葉によって緊張をほぐす必要などないわけです。


しかし、人間は違います。


人は、野生のライオンやクマなど危険な生き物から自分を守る建物で生活するようになったのに、こは狭く緊張を強いられる場所でした。それなのに文明では、さらに緊張を負荷するのです。


どういうことかというと…あえて(学校などで)舞台に立たせ多くの人の視線を浴びせ人工的に緊張状態を作ります。そしてその緊張した空気にも全く動じない人がこの文明では、「素晴らしい人」とほめたたえられリーダーに抜擢されます。


でも、どうしてそれが必要なのでしょうか?


確かに…学校の先生は、生徒の緊張をほぐし、数字や文字を教え文明に捕えさせます。お笑いは、緊張した人々の緊張を解きほぐし文明の作った不自由な生活にも耐えることができるようにします。ステージは、出演者と観客が対面して一番緊張する空間です。これに耐えることができ、笑いを取れる人は文明では価値があるのです。野生では「無」ですが…。


というか、こんなことをしていたら、自然が不自然になるばかりです。


人間に育てられた「志村どうぶつ園」に時々出演する「パン君」は笑いました。初対面のチンパンジーの赤ちゃんと対面した時だと思います。人間が緊張を取るときに「顔」の表情を緩めるというテクニックを自然に習得したのかもしれません。文明に野生の生き物を持ち込むと不自然になってくることが分かりました。








|まとめ (私説)



■笑いとは「緊張」の後に来る「弛緩」 



〔詰に逃げ場のない緊張する環境を作り (試合、発表会など)…
¬詰に緊張を緩める努力をする…。でも無理に緩めるのが難しい。
だから自然な方法で緊張をとる方法を考える。
い修海嚢佑┰个気譴燭里…面白いイメージを旅して…何とか緊張を緩める工夫する…それが「笑い」…





■笑いと呼吸と弛緩



笑いには、「うふふふ…」「あははは…」などなど様々ありますが…。(息を吸うとき:緊張。息を吐く時:弛緩…。)極度の緊張で息を吸ったままだったのが…一気に緊張がほぐれ痙攣するように吐きだす。これが笑いなのかも…。



人はせまい空間に追い込まれ耐えがたい緊張の連続を強いられている。だから、笑いが必要。しかし、文明はテレビやネットを通して、タコをゆでダコにする瞬間を映像で流したり、逃げ場のない家畜が食べられるところを笑いにしたりして…そこが切なすぎる。



逃げ場のない私たち人間と同じ状況になって苦しむ生き物を見ると笑えるって…なんか人間…悲しすぎる…。そんなことするんだったら、野生に還る方法をみんなで考えようよ…。宇宙飛行士になるより野生生活できる人になる方がみんな助かるんだから…。



宇宙に行けるのはロケットの乗れるわずかな人。それに地球と違った環境でどんな暮らしが待っている?こんな矛盾だらけの文明で生きていかなくては生きるすべがなくなった人々(私自身も含め)…涙…。



仕切りのない広い空間。だれも所有しない空間。支配者のいない空間。…そんな空間は、かつて文明がないころ極普通のことだった。それなのに…今それがない。野生と思われる場所でさえ「野生保護区」であるのですから…。








|お勧め動画



桂枝雀さんの動画「緊張の緩和理論1」
https://www.youtube.com/watch?v=ecpQTmc6fLM








|お勧めサイト




■笑いについて上手くまとめた人がいます。(桂枝雀)
ウィキペディア:「落ち」について、詳しくは‥⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E3%81%A1




↓ウィキペディアの「落ち」について


 桂枝雀は‥



笑いは緊張の緩和によって起こるという理論を立て、それと平行して落語の落ちを4種類に分類した。観客がどこで笑いを感じるかに視点を定め科学的な分類を実現した。



 ドンデン
物事の展開がいったん落ち着きや一致を見せることによって観客の心理が一度安定に傾き、その後に意外な展開になって不安定な方向に振れることで、落差により笑いが起きる。逆のパターンが「謎解き」である。


 謎解き
物事の展開が観客にとっての謎を生むことで心理が不安定に傾き、その後に謎が解決して安定することで笑いが起きる。逆のパターンが「ドンデン」である。


 へん
安定状態を経由せず、通常の状態からいきなり物事が不安定な方向に逸脱してしまう作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「合わせ」である。


 合わせ
不安定な状態を経由せず、2つの異なる物事が合致してしまう安定化の作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「へん」である。



 
 




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信仰深さという武器(目に見えないが相手の心を突き刺す)


宗教とか政治と言うのは、とてもデリケートな話題です。

それぞれが真剣に考えているのですから、それを端からとやかく言うことこそ「相手を傷つけること」になるかもしれません。(もし下記の記事を読んで気分を悪くされた方がいましたらごめんなさい。)

===============
信仰的に言うと、わたしの母は信仰深い人で、私にも神や仏を大切にするように教えれくれました。ですから、信仰や宗教を真剣に考える心は尊重しつつ、私の考えをここにまとめました。

私自身、神や仏の存在は以前から信じていました。それは、自分を守ってくれると言う意味で…。

しかし、あるとき福岡正信さんの本に出会い、考えが変わってきたのです。

いままでは、自然に沿って考えるということを私は、考えてもみなかったのですが…。ずっと自然に沿ってって考えていると、結局「野生生活」までさかのぼってしまうんです。

そうなると、「ことばや文字や数字」がない生活になるんです。つまり、自然に沿った本当の世界は、文字も数字もない野生生活だから…私たちが信じている信仰もいらなかったってことになるんです。

===============
もし、神という存在が本当にいたとしても、自然にとって支配する神は必要ではなく、逆に自然を支配しようとする神にとって自然が必要だったのではないかって…思うようになりました。

自然は、知恵や知識がなくても、ちゃんと成り立つ不思議な世界です。

それで結局…信仰もまた不自然だということに気付いたのです。

やはり信仰(宗教)は、文明がないとありえないし、文字や数字がなければ絶対に理解できないものだと言うのが分かってきたのです。

野生の生き物は、文明に沿って生きている人のように自他を区別する言葉ないから、他者を拝んだりしないんだって思いました。自然が全てで一つの命なら、納得がいきます。

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ここには、「信仰深さって人を癒すっていうより、傷つけていないか?」ってことを考えていただきたくて、少し書かせていただきました。(ご批判を受けるかもしれませんが…。)

================
【信仰 
「わたしは、祈って食べているから病気にならないのよ。」という人がいる。もし、それだけの信仰があるのなら、海も川も清めてほしい。(もし、本当に信仰があるとしても、自分の食べ物だけ清めるなんて…愛がないような?)

【信仰◆
事故や災害を逃れた理由が、日ごろの信仰深さによると言う人がいる。だったら、事故や災害そのものが起こらないように祈れないものだろうか?

【信仰】
たとえ事故や災害に遭ったり、病気になっても、「信仰があったからこのくらいで済んだ」とか「これによって多くのことを学んだ」とか最後まで信仰深いという誇りを捨てることがない。

【信仰ぁ
いつも祈っているから「化学物質」の影響を受けないとか、「放射能」の害を受けないと言う人がいる。その人はその信仰の故に、この世界を毒だらけにしていることを知らないし、みんながまき散らした毒で病気になった人の痛みを知ろうともしない。

【信仰ァ
「どんなことが起きても笑顔でわらっていられること」が信仰深いと信じている人は、目の前で起きている悲惨な状態を見ても驚いたりわめいたりすることがない。その信仰深い行動が、「危険」を察知するのを遅らせているとも知らないで…。

※表情は、その状況を知らせるものであるのに、その状況とミスマッチな表情は、「偽り」であり、不自然だと私は思うのです…。

この世が住みにくく苦しい状況でも笑顔でいられることを「すごいでしょ…!」って誇れる世界よりも、みんなが無理なく笑顔でいられる世界のほうがいい…(だれも誇れる人がいなくなるけど)。ブッシュマンのような自然体で笑顔がある方がわたしにとってはいいな〜。

=================
そして、神を信じる人たちの多くは、この世がけがれていくのは、不信仰な人のせいであり、この世で病気や事故で苦しむ人は、不信仰な人たちであると真剣に信じている…。(-_-;)

自分たちが、その毒を蔓延するのを助長していることには気づかずに…。
(毒が撒かれも自分は大丈夫って言うから、毒がとどまることなく撒かれ続ける…)

※信仰深い人は、どんな添加物や毒性のものを食べても、祈れば清くなるので病気にならないと信じているため、根本を解決する必要がない。そのため環境汚染が広がっていく。ですから、悪い環境で最後まで残れた人が「信仰深い人」になる…。

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追加)
宗教によると、この世が汚れたり、戦争が起こったりするのは、人々の罪だと考えられています。(そう考えるから宗教があるわけですが…)人を良いと悪いに分別するとそういうことになるのかもしれません。

しかし、本当の原因は?

この世界に不自然なものを持ち込んだ、
文明という知恵こそが「根本の原因」ではないかと私は思うのです。

なぜなら、人がこの知恵なしに、このような不自然なものを作り出すことはできなかったと思うからです。自然には文字や数字で表す知恵など無用、不要だったはずです。野生の生き物はこのような(無駄、不要な)「知恵」を持つことなく自由に生きていけるのですから…。

(人も文明と出会わなければ…野生の生き物と同じように自由に生きていけたことでしょう。何も考えずに…)

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